記念すべき弊野食ブログの第1回目の記事はドクダミのフライでした。もう2年近く前ですね。2年間も僕は何をやっているんでしょうか。
このとき食べたドクダミのフライは、ただただドクダミでした。「あ!揚げ物にすると独特の風味は飛んで、美味しくなるんですね!」という言葉を言うつもりで準備していたあの日の僕がドクダミフライを口にした瞬間の気持ちを100字以内で述べよ。
ただ…と僕は思いとどまった。フライにしたのが良くなかったのかもしれない。天ぷらにしていたら、あるいは、美味しく食べることができたのかもしれない。僕は、限りなく無に等しい救済の望みだけを頼りに労働する清教徒の鉱夫のごとく空を見上げた。
先端の新葉を摘んで、
こうじゃ
サクッやっぱりドクダミじゃねえか!!!!!
天ぷらにしてもドクダミのにおいは健在です。「やはり天ぷら……‼︎ 天ぷらは全てを解決する……‼︎」って俺に言わせてくれよ。
ドクダミの天ぷらを作ってる人けっこういるんですけど、しかもだいたいの人が美味しいって書いてるんですけど、みんなして示し合わせてます?ドクダミ天ぷら美味い勢のなかで、僕がマイノリティとして「いや、天ぷらにしてもけっこうにおいキツイですよ」と声を上げることが、より良い社会に繋がることもあるんじゃないかなと思うんです。あなたの声で救われる人がいます。
もはやドクダミは「いかに美味しく調理するか」ではなくて「いかにドクダミを美味しいと感じられるように自身を調教するか」という、信仰の問題なのかもしれません。別に入信してもいいんですが、ちょっとした修行が必要なようです。
一縷の望みがあるとすれば、ドクダミの葉を生のまま生春巻きにすると美味いという情報もあるので、エスニック方面に振ればいけるのかも知れない。やってみるかも知れないし、やらないかも知れない。
(採取日: 2022. 5. 4)