しらたまが道草を採って食うブログ

私ついていくよ どんな辛い野食の闇の中でさえ

真竹のタケノコ(反省会つき)

 

前回の記事で食べた黒竹はいわば園芸品種。純粋な野生のタケノコを採って食べてみたい。

↓前回

 

 

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そうそう、こういう竹薮に生えてるタケノコを採りたかったんですよ。


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ドライブ先で子どもを遊ばせるために立ち寄った公園に竹薮があり、しかもちょうどタケノコが生えまくっていたので採ってみました。どうせもうすぐ役所から委託された業者が掃除しに来てタケノコも一掃される運命なので、それであればこの愚禿が頂いていきます。しかし子どもを公園に連れて行ったらふつうに野草を摘み始める父親とか嫌ですね。

 

この手の竹薮はだいたい真竹か淡竹(ハチク)らしいのですが、タケノコを見れば今回採ったのが真竹だと一発で判別できます。

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皮の表面に毛が生えずツルツルしており、茶の地に黒の斑点があるのが真竹。版画をするときに使うバレンの原材料らしいです。お前だったのか。

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真竹は日本では昔から食用にされてきたそうだが、アクが強いため苦竹とも呼ばれるらしい。アクが強いと言っても、今日われわれが食べている孟宗竹のアクの強さは相当なものなので、孟宗竹が日本で普及する以前において日本で食用にできる他の竹と比べてアクが強いということなのではないだろうか。

試しに生で齧ったら、当然アクはありますがまぁこんなもんかという感じ。そんなに驚くほどのアクではないです。

 

 

 

 

 

大きいものは50センチ、小さいものは20センチ。孟宗竹のように地中に埋まっているわけではないので、小さいものでも簡単に手で採れる。

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それにしても美しいタケノコですね。皮の色彩と光沢がなんとも渋い。


50センチあるタケノコの中身はこんな感じ。
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しっかりと青いんですが、刃を当てた感じがまだなんとか食べられそうだったので食べてみる。ちょっと見た目がカタツムリの寄生虫であるロイコクロリディウム*に似てて可愛いですね。

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* ロイコクロリディウムはレウコクロリディウムとラテン語読みでも呼ばれますが、なんで前者のドイツ語読みで呼ばれることの方が多いんですか?

 

 

 

初めての真竹なのでアク抜きの作法がわかりませんが、とりあえず皮を剥いた状態で米の研ぎ汁で15分茹でて冷めるまで放置。本当は米糠がよかったんですが、持ち合わせがなかったです。
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冷蔵保存するときは水につけますよ。
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まずはタケノコご飯にでもしてみましょう。f:id:shiratamarr:20220716160759j:image
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僕の切り方の問題もあるんですけど、緑のせいでタケノコご飯っぽさが皆無ですね。

味は、正直こんなもんかという感じ。タケノコに甘い香りがなく、味も薄め。なんかポリポリしたものがご飯に入ってんなぁって感じで、残念ながら炊き込みご飯にする必然性に乏しい。

あと、若干アクが抜け切ってなかったですね。鍋いっぱいに茹でたので、2回に分けるとかして水の比重を高めて茹でるべきだったかもしれない。皮は剥いた状態でアク抜きしたけど、皮付きのままの方がよかったのだろうか。米糠を使わなかったことも食味に影響しているような気がするので、下茹でについては将来の継続課題とします。

 

 

 

 

 

炒め物各種。

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茹でたものをそのまま蕎麦に乗せて辣油をかけて。

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濃い味付けにしてしまえば、文句なく美味しく食べられます。筑前煮やきんぴらなんかが一番適正の高い調理かもしれないけど、やる前に食べ切ってしまいました。

 

 

 

 

 

 

 

さて、孟宗竹に比べると香りや甘みの少ない真竹には少々物足りなさを感じる結果となったわけですが、逆にいえば、いかに自分がこれまで孟宗竹しか食べてこなかったかと思い知ることにもなりました。そもそも孟宗竹だけを食べて「タケノコ=甘いもの」という図式を組み立てていたのではないかと。真竹を食べて1ヶ月くらいしてからこのブログを書いてますが、そのことに対して悶々と反省の念が生じてきている。

 

なんで僕が野食なんかやってるかというと、食べることが好き、料理が好き、自然が好きという条件が揃ったところに自ずと野食という道が開かれただけの話ですが、野食の面白さって、人の世の手垢のついた常識からフリーになれるところにもあると思うんですよ。「道に生えてる草を食べるなんてさもしいよね」とか、「店に売ってるんだから買えば良くない?」とか、「変なもの食べると危ないよ」とか、そういう世間様の常識をいったん無視して、世間様が食材だと認識していないものもいったん食べてみて、素材の美味しさや食適性を身をもって体験していくことで初めて「なんでこんなに美味いのに一部の地域でしか食べられていないんだろう」とか「やっぱ農業の力って偉大だわ」とか、そういう当たり前のことを自分の中で再構成できるんですよ。だからなんだって話ですが、それがとても面白いのですよ僕にとって。

それで何を反省したかというと、固定観念を剥ぎ取っていきたいと言いながら、タケノコの美味しさってこういうところだよねと孟宗竹だけを念頭において、その尺度をもって真竹の美味しさを測ろうとしたところです。結局自分も固定観念まみれやんけと。コメの美味しさは粘りと甘みにあるからゆめぴりかはコシヒカリに劣っていると言ってるみたいなもんです。好みの問題と、食材としての優劣の問題を混同してはいけない。

 

とはいえ、真竹は孟宗竹と比べると、あの米びつを開けたときのような甘い香りが薄いというのは、確かな評であるとわれながら思ってはいます。そのうえで、どういう下茹でや調理の方法をとるのが食材として一番映えるのか、次回はもう少し意識してやりたいと思います。真竹の評価は来年に持ち越します。

 

 

(採取日: 2022. 6. 17)